現代手づくり玩具館  村榮 喜代子

私は、子ども時代を思い出すと、体中がぞくぞくしてくる。戦争が終わり、その抑圧から解放された私たち子どもは、日が暮れるまで、遊びに熱中した。学校から帰って、路地(ろーじと呼んでいた)に行くと、誰かが居る。しばらくすると、遊ぶ声を聞きつけて、次々と集まってくる。その日によって、遊ぶメニューは異なるが、主な遊びは、竹返し・まりつき・石蹴り・おじゃみ・おはじき・なわとび・ゴムとび・こま・ビー玉・めんこ・人形ごっこ等である。こうした、いわゆる伝承あそびは、余裕のある時間と空間の中で、仲間たちと、全神経を集中させ、肉体と感覚を存分に使って、技を競い合い、夢中にさせた。どの遊びも単純だが、それぞれに技があって、難易度の低いものから、技を高めていく快い緊張感があった。

お腹がすくと、ポケットからだしじゃこやスルメを取り出して、食べた。時々近所のおばさんが、竹の皮に梅じそを入れて三角にたたんだものを作って、子ども達に配ってくれた。角から吸うと、梅じその思いっきりすっぱい味が、口いっぱいに広がり、遊び疲れた体と神経を癒してくれた。

人形ごっこの忘れられない思い出は、遊び仲間のおねえさんが、めいめいの人形にすてきな服を作ってくれたことである。スカートの裾が円形に広がるデザインは、当時はとても斬新で夢があった。

路地は子どもたちのたまり場であり、遊び場であった。大人になって、かつて遊んだ路地を見て、信じられないほど狭く感じられて驚いた。さぞ周りの家の人たちは、騒々しかったに違いない。しかし、当時の大人たちは、子どもたちが、どんな遊びをしようと、どんなに騒いでいても、決して禁止させたり、とがめたり、干渉することはなかった。

自分のもてる力をとことん発揮して、心ゆくまで遊びこんだ、子ども時代のこの快感は終生忘れ得ぬもので、今の私の生きる原動力でもある。

「現代手づくり玩具館」は1990年に、多くの人たちの協力で、宇治市炭山に建設した。現代の子どもたちが、山の中の自然とのかかわり、手づくりおもちゃとのかかわりの中で、遊び、作る姿は、私の子ども時代に求めていたものと、何ら変わりはない。時代の状況がどう変わろうと、子どもたちが、求めるものは変わらない。仲間と共に、各々の力を発揮し、エネルギーを燃焼させる活動や遊びをひたすら求めているのである。

IT産業が子どもたちの生活に根付いてきた今日においてこそ、子どもが本来求めている欲求に答えられる、遊びやおもちゃを、大人は真剣に考えていかなければならないと思い、日々の活動を続けている。そんな私たちのねらいに、子どもたちは本来の子どもらしい力を見せてくれる。山へ連れて行くと、山猿のように、駆け回り、樹木やつるの自然遊具で遊びを満喫する。川では四季を問わず、ずぶぬれになって、いろいろな遊びを次々と考え出す。


ボールごま
おもちゃは単純なものほど、奥が深いことを、子どもたちは体験する。その一つに独楽(こま)がある。玩具館のオリジナルのボールごまは、3歳から大人までが、回して飽きない遊びである。心棒を両手でもむようにしてまわす、もみごまは、単純な遊び方だが、自分の手で、確かに回した実感がある。何回まわしても、結果(回り方)は同じではない。だから飽きないのである。独楽(こま)は伝統的な玩具であるが、奈良時代から人々をひきつけ、多種多様な独楽を創り出し、現代まで途絶えることなく継承されてきた魅力を、子どもたちは体感しているのである。

今はほとんど遊ばれなくなった羽根突きにも熱中する。大人も加わって、輪になって打ち合ったり、2チームに分かれて、対戦する。遊び始めた頃は、うまく打てなくて「難しい!」を連発していたが、コツが解ってくると、回を重ねる毎に打ち合いが続くようになり、面白くなってくる。羽子板に当たるはねの音も快く感じるようになる。

頭と身体を使って、遊び込めば遊び込むほど面白くなる、そんな玩具を、今こそ子ども達に広めたいものである。

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